本ページでは、レコード針(カートリッジ)に関する専門的な内容の、針の形状で音が変わる理由についての解説を行います。
基礎的な内容の解説ページもございますので、先に「カートリッジについて Vol.1 基礎編」および「カートリッジについて Vol.2 スタイラスチップ編」のお目通しをお勧めします。
ここではまず最初に、レコード針(カートリッジ)に使用されている「スタイラスチップ」とは何かという基礎の解説を行ってから本題に入ります。
本項の内容を理解するためには、この基礎部分の理解は必須となりますのでなるべくお目通し頂くことを推奨します。
上に示した通り、一般的な構造のカートリッジには、目視可能な棒状の形をしたカンチレバーの先端にスタイラスチップと呼ばれるパーツが取り付けられており、その先端部分がレコード盤の音溝から音声信号を読み取っています。
このスタイラスチップはカートリッジのパーツの中で唯一、レコード盤の音溝表面に直接触れる部分でもあります。そのため、簡単に摩耗しないようダイアモンドやサファイアなどの極めて硬い鉱物でつくられていることが多く、カートリッジの用途や求められる性能によって様々な形状のチップが用いられています。
なお、各スタイラスチップの種類やその概要については、別項「カートリッジについて Vol.2 スタイラスチップ編」および海老沢 徹 先生の解説による下の弊社公式YouTubeチャンネルをお目通しください。
ここまでの基礎内容を踏まえた上で、本項では更にもう一歩踏み込み、
「丸針と楕円針で、カートリッジのスペックが異なるのはなぜか」
「放送局などで使用する業務用カートリッジがほぼ丸針なのはなぜか」
「針先形状が変わることで再生時の音色が変化する理由を知りたい」
といった疑問に対する解答を兼ねた説明を行ってゆきます。針先形状が変わることで再生音が変化する理由は技術的見地から解説が可能であり、放送局用やDJ用などの業務用カートリッジの多くに丸針が用いられていることにも明確な理由があります。
これらについて理解することで皆様がレコード再生に対する知見を一層深め、カートリッジ選択やオーディオシステムのサウンド構築の一助となれましたら幸いです。
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上に示しているのはオルトフォンのSPU #1シリーズにラインナップされている2機種です。丸針仕様のS(Spherical)と楕円針仕様のE(Elliptical)の違いはスタイラスチップの形状のみで、他の構造や使用部品などは全て共通です。上位モデルのSPU Classicシリーズも同様に丸針と楕円針の2機種編成となっています。
このように、カートリッジには丸針と楕円針を同一シリーズにラインナップしているものも多く、基本的に楕円針のモデルが上位グレードとして扱われています。
そして丸針と楕円針の違いは、レコード盤の音溝に接する先端部分の形状差のみです。その違いについて、あらためて下記に解説します。
上図で示しているのは丸針の概要です。円柱もしくは角柱状の素材先端を円錐形に切削し、更に先端部分を球状に丸めて研磨しているためコニカル針、もしくは丸針と呼称されています。
そして、レコード盤に音溝を刻むカッターヘッド(下の写真および図を参照)の先端に付けられたカッティング・スタイラスが刻んだ音溝(上図左)に対し、先端が球形の丸針(上図右)でこれをなぞる(トレースする)と、スタイラスが同一位置でも音溝壁面への接触点がずれて位相ひずみが発生したり、音溝の幅によっては針先が音溝の底に近い部分まで入らずに浮き上がるピンチ効果ひずみが発生することがあります。なお、位相ひずみとピンチ効果ひずみについては後ほど詳細に解説します。
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上図で示しているのは楕円針の概要です。円錐状に研磨されて先端が球状になっている丸針の正面と背面を削り、針先を楕円形としているためこの名称となっています。
スタイラス先端の断面が薄い楕円形となったため、丸針に比べ音溝表面の細かな凹凸をより高精度に読み取ることが可能となり、位相ひずみやピンチ効果ひずみも低減されています。
本体部分が同一構造のカートリッジで発生する丸針と楕円針のスペック差や音色の違いは、スタイラスチップ形状の変化によって音溝表面の読み取り(ピックアップ)精度が向上して再生可能な周波数帯域が広がったり、周波数特性がフラットに近づいたことや、位相ひずみやピンチ効果ひずみの低減によって発生しています。
この状況は丸針と楕円針だけの間に発生するものではなく、楕円針→ファインライン(高性能楕円針の一種)→シバタ針(ラインコンタクト針の一種)→オルトフォン・レプリカント100(ラインコンタクト針の一種)とスタイラスチップの形状が進化していくにつれて音溝に刻まれた音声信号のピックアップ精度が向上し、高解像度でワイドレンジな音色となってゆきます。
以上の解説をもって、先の「丸針と楕円針で、カートリッジのスペックが異なるのはなぜか」「針先形状が変わることで再生時の音色が変化する理由を知りたい」という問いに対しての回答といたします。
レコード再生を行う上で重要な理想のひとつに、High Fidelity(ハイ・フィデリティ、高忠実度)であることが挙げられます。よくHi-Fiと略称されるこの言葉は、レコードのみならず高音質なオーディオシステムの構築を目指す上では誰もが意識するものです。先に述べたスタイラスチップの形状進化に伴う読み取り精度の向上は、このHi-Fiの追求によって成されてきました。
しかし高性能なスタイラスチップは読み取り精度が高いため、カートリッジのトラッキング・アングルや左右方向の水平が適切でないと再生時に音が割れたり音像定位に影響が出ることもあり、セッティングには注意を払う必要があります。
また読み取り精度が高いということは、レコード盤の音溝表面上にある細かな凹凸を信号としてピックアップできるというメリットはありますが、放送局などではスタイラスが音溝上に載った状態でレコード盤を逆回転させて頭出しを行ったり、DJプレイ時にはさらに激しいバックスピンやスクラッチを行う場合があります。高性能なスタイラスチップを使用したカートリッジでこのような運用を行った場合、カンチレバーとスタイラスチップの接合部分に通常以上に強い力が加わってカンチレバー先端の破断やスタイラスチップの脱落につながる恐れがあります。
そのため、放送局などで業務用途の使用が想定されるカートリッジ(例:丸針仕様のSPUなど)や、激しいDJプレイに使用することを念頭に開発されたConcorde MkⅡ Scratchなどではカートリッジの破損を避け、なおかつ逆回転やスクラッチなど、本来のレコード再生ではあまりに高負荷でイレギュラーな動作を行ってもレコード盤の音溝表面にかかる負荷を軽減できるよう丸針を採用しています。
また業務用カートリッジやDJ用カートリッジは、Hi-Fi用途のカートリッジほど細かなセッティングに注力できる環境で使用できるとは限りません。セッティングの不行き届きに起因するひずみや音割れを極力発生させず、放送事故を防ぐという理由からも丸針の使用が望ましいとされています(ここで述べているひずみや音割れは、先に述べた位相ひずみやピンチ効果ひずみとはまた別の要因につき関連はありません)。
なお、DJ用カートリッジの中には高音質化を目指して楕円針を採用したモデルも存在しますが、新規に高剛性のカンチレバーとダンパーを開発する(Concorde MkⅡ Elite)、または一般の楕円針よりも厚みをもたせた特殊形状のスタイラスを使用する(Concorde MkⅡ Club)など、いずれも高負荷に耐えられるだけの対策が施されています。
「放送局などで使用する業務用カートリッジがほぼ丸針なのはなぜか」という問いに対しては、上記解説をもってその回答といたします。
なお余談ながら、音質面での丸針の利点は音溝からピックアップ可能な情報量が楕円針などに比べて少ないこと、と言ってもよいかもしれません。録音が非常に古い、もしくは録音状態があまり良いとは言えない盤を高性能なカートリッジで再生するとその録音のクオリティも如実に再現することがあります。しかしこういった盤に丸針のカートリッジを用いると、想定していたよりも良い塩梅の音色となる場合があります。高解像度、ワイドレンジでHi-Fiなレコード再生を目指す向きとは真逆の捉え方とはなりますが、より愛聴盤を楽しむためにこの視点が必要となる時が来るかもしれません。
先の「Ⅱ.丸針と楕円針で音が変わる理由について」において、丸針の使用時には他のスタイラスに比べ「位相ひずみ」が最も顕著に出ることを述べました。ここからは、その位相ひずみとは何であるかを解説してゆきます。
上の図はレコード盤の音溝を刻むカッティング・スタイラスの軌跡と、その溝を丸針がトレースした際の様子を示したものです。カッティング・スタイラス両端の音溝に接している部分は常に進行方向に対して垂直となる(上図に記された赤の点線)のに対し、その溝を丸針でトレースすると溝の形状によって接触位置が大きく変わることが分かります。上図に青線で角度を示しているのがそれで、本来あるべき位置の点線から大きくずれています。これは音溝に刻まれた音声をカートリッジが電気信号に変換した際、左右チャンネルの位相ひずみ(この場合、左右チャンネルの音声信号のタイミングがずれることを指す)として現れ、音源に対する忠実度を高くもつというHi-Fiの観点から見ると(理論上は)問題となります。
この状況を避けるために普及した楕円針では、丸針と比較すると位相ずれの発生度合いが幾分かは軽減されています。しかしまだ十分ではないため、シバタ針などに代表されるラインコンタクト針が登場することとなりました(下図)。
そしてカッティング・スタイラスに最も近い形状となるよう開発されたオルトフォン・レプリカント100では、位相のずれに起因するひずみは極限まで軽減されています。オルトフォンの高性能カートリッジにこのレプリカント100やシバタ針が使用される理由は、この位相ひずみを回避するためでもあります。
下の動画では、ここまでの内容についてをアナログ研究の第一人者である海老沢 徹 先生が解説しています。これまでに上げた図にアニメーションが付き、各スタイラスが音溝をトレースする様子を実際の動作で観察することができますので、あわせてお目通しください。
海老沢先生の解説にある通り、位相ひずみはステレオ録音が実用化され、V字型の音溝の左右に独立した音声信号が刻まれるようになるとその問題が顕在化してきました。丸針でレコードを再生した時に比べて楕円針やラインコンタクト針などで同じ盤を再生した時の方が音が明瞭でクリアに聴こえるのは、ピックアップ可能な情報量の差もありますが左右チャンネルの位相ずれに起因する位相ひずみの発生度合いが少ないからでもあります。
上の動画のアニメーションを見た際、丸針や楕円針が音溝をトレースした時に溝の幅に合わせて針先が一旦小さく縮んだり、また大きくなったりしている様子を気に留めたことと思います。
これはピンチ効果ひずみを模式的に現したもので、実際には縮むわけではなく円錐形もしくは楕円形の針先が上方向に浮き上がってしまっている状態を示しています。
このように針先が浮き上がって音溝を忠実にトレースできていないと再生時の音場感が損なわれ、奥行き感や空間表現が不明瞭となります。
特に丸針ではこのピンチ効果ひずみが発生する度合いが高いため、空間表現も含むHi-Fiな音楽再生を望む場合はシバタ針(上図)やレプリカント100のようなラインコンタクト針の使用を推奨します。
下の動画は、海老沢先生によるピンチ効果ひずみについての解説動画です。ここまでの内容を更に詳細に、かつアニメーションによる動作例も多数挙げておりますので、併せてのお目通しをお勧めします。