―スケルトン・フレームの衝撃再び。新たなる「90」、ここに誕生―
オルトフォンのカートリッジといえば、特徴的なGシェルやAシェルにユニットを収めたSPUシリーズや、超音速旅客機の機種にも似た形状のConcordeシリーズなどを思い浮かべる方も多いことでしょう。これらのカートリッジは、一見すると特異な形状に見えますが、それぞれに必然的な理由があります。
SPUシリーズの場合は、開発時に想定されていた放送局やレコード会社におけるプレイバック・スタンダードとしての要求を満たすため、頑丈さと針飛びのしづらさに重点が置かれました。その結果、現代の感覚では重質量となるヘッドシェルと3gを超える重針圧により、外部振動などの影響を受けづらい安定したトレースを実現しました。またConcordeの場合は、針先側に向けてハウジングを細くすることでカートリッジ先端側の質量を小さく(軽く)し、レコード再生時の振動系(スタイラス、カンチレバー、ダンパーなど)の動作にカートリッジの本体質量が与える影響を最小限としています。MC型のConcordeであるMC200の開発にあたっては、このハウジング形状に適合させるためSPUに比べ4分の1程度にまで小型化されたMC型用磁気回路(発電機構)が実用化されました。これを祖とし、改良により大幅なパワーアップと高性能化を果たした新時代の磁気回路を具現化したのが創立85周年モデルのMC Jubileeであり、その後に続くハイエンドMC型カートリッジの礎となりました。これを更に軽量化し、斬新なスケルトン形状のフレームとしたのが創立90周年モデルとして2008年に誕生したMC A90です。Concorde以上に特異な形状をもつMC A90のハウジングは、オルトフォンが史上初めてSLM(Selective Laser Melting、セレクティブ・レーザー・メルティング)を用いてステンレス粉末をレーザー溶融させ、三次元的な一体成型を実用化させたものです。これにより、従来は難しかった複雑な形状のハウジングを自由に加工することが可能となり、カートリッジのヘッドシェル取付面から磁気回路とリード線端子を吊り下げ、一切の贅肉を排除した極めて特異な形状のハウジングを世に送り出すことができました。MC A90の登場当時は、他に類を見ない形状からその奇異さが際立っていましたが、このカートリッジでのみ味わえるハイスピードでクリアなサウンドを存分に堪能した方からは絶賛の声を頂戴しています。
このMC A90に発展著しい最新のダンパーマテリアルと金属加工のテクノロジーを投入し、生まれ変わったのがMC 90Xです。美しいコバルトブルーを纏い、本機専用のダンパーに最適な質量へとリファインされたスケルトン・フレームは、より高品位な姿に生まれ変わりました。
- 定価
- ¥800,000(税別)
Ⅰ.本体質量を見直し、生まれ変わったステンレス製フレーム
金属粉末をレーザー溶融して対象物の成型を行うSLM(Selective Laser Melting、セレクティブ・レーザー・メルティング)は極めて高コストではありますが、精度と加工自由度の高さから高性能カートリッジのハウジングやフレーム成型には欠かせないテクノロジーです。MC A90での実用化以来、オルトフォンは自社のハイエンドモデルの多くにSLMを用いたハウジングやフレームを採用し、世代交代を重ねながら更なる高精度化を追求してきました。そのため、MC A90のフレームは当時としては極めて高精度なものでしたが、最新モデルの90Xと比較すると技術の進歩を実感することができます。ちなみに、スタイラスチップやカンチレバー、アーマチュアなどの振動系部分は、レコード盤の音溝トレース時には音溝表面の物理的な凹凸をなぞりながら動作し、その振動をコイルに伝えて発電することで音声信号を生み出しています。この際、動作によって振動が発生するとそのまま反動としてカートリッジ本体側にショックがかかります。これを吸収するためにはカートリッジのフレームやハウジングに一定以上の質量や強固さが求められますが、本機は極めて堅牢なSLM成型のステンレスのスケルトン・フレームを備えているため、一般的な再生環境下では不要共振となる反動をヘッドシェル側に伝えることはありません。また最新のSLM技術を駆使し、不要共振やフレーム筐体の金属がもつ固有振動を打ち消すための特別な構造を備えることで、カートリッジがより「正確」なサウンドを再生することができます。なおカートリッジの自重については、旧モデルのA90では自重8g、後継モデルのA95では自重6gと軽量化の道をたどっていましたが、本機では9.5gと重質量化されています。これはオルトフォンのAS-212/309Rやその他現行トーンアームとの最適な質量バランス、または相性を考慮した結果で、軽質量カートリッジを得意とするトーンアームでなくとも極めて良好なマッチングを得ることが可能です。
Ⅱ.新フレームにあわせ、専用設計されたダンパーシステム
カートリッジの自重を増減させると、振動系の動作時にダンパーが受け止めて支持する運動エネルギー量も変化します。そのため、旧モデルに比べ本体質量の大きい(重い)MC 90Xの開発に際しては、本機の特性に合わせた専用のダンパーゴムが設計されました。このダンパーは、オルトフォンのハイエンドモデルに多用される特許技術のWRD(Wide Range Damping、ワイド・レンジ・ダンピング)システムを採用しており、それぞれ弾性が異なる前後2枚のダンパーの間にスタビライザーとなるプラチナリングを挟んでいます。実際にレコード盤を再生する際には、振幅の細かな高音域では追従能力の高いフロント側のダンパーを動作させつつ中央のプラチナリングで制動を効かせます。そして大振幅となる低音域では支点に近く保持力の高いリア側のダンパーが動作し、ふらつきを発生させることなく正確に低音の信号を読み取ることが可能となります。当然、この2枚のダンパーの適正な弾性の値は各カートリッジのボディ質量や(カンチレバーを含む)素材によって異なります。これを完璧な状態に仕上げるためには、オルトフォンのように専用のダンパーラボを設け、全てのカートリッジ用ダンパーを自社生産する以外にありません。
Ⅲ.FSEを備えた磁気回路、Aucurumのコイルワイヤー
MC 90Xには、オルトフォンの誇る超小型磁気回路が搭載されています。この磁気回路は中央にリング状の穴が開けられたマグネットの前後にフロントおよびリアのヨークが配されています。フロント側のヨークにはカンチレバーを通すための穴が開けられており、この穴部分を除くと、磁気回路は完全に密閉されています。そしてマグネットに開けられた穴の裏側には、オルトフォンがFSE(Field Stabilizing Element、フィールド・スタビライジング・エレメント)と呼称している独自技術の非磁性金属リングを装着しています。このリングには導電性を高めるための表面処理が施されており、ここに電流を誘導して微弱な磁場を発生させることが可能です。ちなみに、FSEのリング内部には6N高純度銅線に金メッキを施したAucurum(オーキュラム)導体のコイルが軽量な十字型のアーマチュアに巻かれた状態で収められていますが、これがレコードのトレースによって動作すると磁気回路の磁場に乱れが発生します。FSEに生じている微弱な磁場は、この乱れを相殺して安定化させる役割をもちます。この効果により、特に高音域の再生特性を飛躍的に向上させています。
Ⅳ.ヘッドシェル、トーンアームとのマッチングで生じる無限の可能性
先にも述べたとおり、MC 90Xはハウジングという贅肉が皆無なスケルトン形状のため、ボディ部分は必要最低限まで削られています。そのため、本機はハウジング分の体積を抱える一般的な構造のカートリッジに比べ、ボディ鳴きによる固有の共振をほぼ皆無にまで低減させました。簡潔に表現すると、ハウジングの響きによる再生音への干渉がなく、極めて純粋で「正確」な信号のピックアップを実現したカートリッジだといえます。さらに、本機は自重9.5gと現代のカートリッジでは軽量な部類に属しています。カートリッジの本体質量に起因する再生音への(結果的な)干渉も非常に軽微なため、組み合わせるヘッドシェルの素材や形状、質量次第でサウンドは如何様にも変化します。これはつまり、ヘッドシェルの先にあるトーンアームやプレーヤーの特徴もまた明快に示すことは言うまでもありません。ご使用のオーディオシステムとセッティングの方法次第ではありますが、再生されるサウンド全体や低音域の量感の多寡、またはその重心位置、高音域の抜け具合などをコントロールすることも可能です。そういった意味では、ただプレーヤーに取り付けてそのまま聴いているだけでは少々惜しいほどの性能を秘めたカートリッジであるとも言えます。
MC 90Xが目指すものは、ただ「正確」なサウンドです。プレーヤーやトーンアーム、ヘッドシェルなど組み合わせる他機器の音すらも正確に描き出す本機は、新時代のリファレンス・モデルに相応しい性能を誇ります。